広島から帰ってきました。
土日の1泊旅行でしたが、ご存知の通り天候は悪く、メインの厳島神社に至っては雨の中でした。ナリ様に歓迎されなかったようです。
初日の土曜日は途中で岩国市の錦帯橋に行きました。
土日の1泊旅行でしたが、ご存知の通り天候は悪く、メインの厳島神社に至っては雨の中でした。ナリ様に歓迎されなかったようです。
初日の土曜日は途中で岩国市の錦帯橋に行きました。
橋の下から覗く山の上に建っているのが岩国城です。
岩国城は錦川が天然の堀になっていて、川を境に城下町を形成しています。政治部分と経済部分を繋ぐものとして錦帯橋が造られたそうです。
しかし城下町に住んでいる家臣はあの城まで登城、というか登山していたのだろうか。
と思ったら、wiki先生で説明がありました。
岩国城が築城されたのは関ヶ原後の1608年。戦国時代ならいざ知らず、江戸に入ってから、こんな如何にも使いにくい立地条件を選ぶのはおかしいやろ?と思うのですが、やはり麓に別居があり、平時はそこで政を行っていたそうです。(現在は公園になっています。錦帯橋を渡ればすぐです。)
じゃあ、この山城は何なん?というと、戦時用だそうです。
江戸時代なのに?と思いますが、築城主が毛利さんの家臣だそうで。狸が天下を取った後も、機会を伺っていたのですねえ。
しかし残念ながら、後に一国一城令によって、岩国城は廃城となります。せっかく建てた城も、徳川の権力には勝てなかったようです。
現在は天守閣が復元されていて、ロープウェイで登られます。時間が無くて行っていないのですけどね。

公園にある吉川広嘉像。築城主 吉川広家の孫です。
この人が現在の錦帯橋の形にしたそうです。
岩国城は錦川が天然の堀になっていて、川を境に城下町を形成しています。政治部分と経済部分を繋ぐものとして錦帯橋が造られたそうです。
しかし城下町に住んでいる家臣はあの城まで登城、というか登山していたのだろうか。
と思ったら、wiki先生で説明がありました。
岩国城が築城されたのは関ヶ原後の1608年。戦国時代ならいざ知らず、江戸に入ってから、こんな如何にも使いにくい立地条件を選ぶのはおかしいやろ?と思うのですが、やはり麓に別居があり、平時はそこで政を行っていたそうです。(現在は公園になっています。錦帯橋を渡ればすぐです。)
じゃあ、この山城は何なん?というと、戦時用だそうです。
江戸時代なのに?と思いますが、築城主が毛利さんの家臣だそうで。狸が天下を取った後も、機会を伺っていたのですねえ。
しかし残念ながら、後に一国一城令によって、岩国城は廃城となります。せっかく建てた城も、徳川の権力には勝てなかったようです。
現在は天守閣が復元されていて、ロープウェイで登られます。時間が無くて行っていないのですけどね。
公園にある吉川広嘉像。築城主 吉川広家の孫です。
この人が現在の錦帯橋の形にしたそうです。
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