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うちの、やぴょん。
真田太平記で、家康が三成のことを「野干(やかん)」と称している記述があります。
野干とは狐の俗称、蔑称であります。
これに対して三成も家康を「野猫(やぴょう)」と言い返しています。野猫は狸の蔑称です。
やはりこのふたりは、狐と狸だったのか。
うちにも一匹野猫がいますよ。チャイは丸っとして色がタヌキのようなので、やぴょんと呼んでいます。
孫子兵法が相変わらず凄い。全体的に。
現在孫武は呉の国の軍師になっていますが、内政を安定させる為に王に敵対する王族を、刺客を放って暗殺しています。
つか、あれ暗殺じゃないぞ。白昼堂々と刺したり(その後刺客はすぐ殺される)、ガードが堅い相手の信頼を得る為に、刺客が自ら右腕を斬り落としたり妻子を殺したり(王にやられたと言い、復讐したいんです~と言い寄る)。
何か目的の為に120%出してます、って感じで激しいです。
暗殺といったら、こう闇に乗じて・・と刺客がわからないようにするんじゃないでしょうか。中国力技。
その前に、孫武を軍師にと、伍子胥が王に推挙するのですが、元々呉の臣下がこれ以上他国の者をのさばらせるかと、素性のわからぬ者を、と反対するのです。
そこで伍子胥は、「孫武の書いた兵法書を読んで戴ければ、如何に優れた者であるかわかります。早速献上致します。」と言うのです。
ここで日本のドラマだったら、兵法書は王に渡るまでに妨害があって紆余曲折となるのでしょうが、もう次のシーンでは王が兵法書を読んで、「何と素晴らしい!」と感嘆していました。早すぎる。
歴史ものですから結果はわかっています。なので、「結局は孫武は軍師になるんや。だったら、さっさと先進むで。」という、粗筋を見ている感じなのですよ。
例えば本能寺の変のシーンを出すとき、はい、本能寺が焼き討ちに遭いました。次のシーンでは、信長死にました。というくらいの展開の早さなんです。
見せ場というか、ハラハラドキドキ感が無いというか。これが中国クオリティなのだろうか。
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測量の下調べの最中に撮影しました。お店の庇で日向ぼっこする猫。
右上に指が写ってしまいました。残念。
BS日テレで放送中の孫子兵法を見ています。中国のドラマなのですが、日本の大河ドラマに相当する内容です。
世界で一番古く確立された兵法書を作った孫武の半生を描いたドラマです。
諸葛亮孔明や武田信玄の兵法書も、この孫子兵法を基にしたそうで、現在もビジネス界などで使われているそうです。
という重厚なドラマのはずなんですが、笑いが止まりません。
展開が怒涛の勢いで早いし、山あり谷ありのジェットコースターストーリーなんです。これでもかというくらい、主人公に次から次へとドラマチックな出来事が起こる。
時代は中国春秋戦国時代で、主人公 孫武は斉の国の重臣の息子。斉は田氏・鮑氏・国氏・高氏の四大家系があり、それぞれがいがみ合いながらもバランスを保っていた。
特に田氏と国氏・高氏間の確執が強く、田氏の遠戚である孫家も、国氏・高氏から敵視されていた。
それでも孫武と国氏一族の国無咎は親友であったし、高氏一族の娘 高紫蘇とは恋仲であった。
孫武の父 孫慿は平和主義者で勢力争いを避ける人物であったが、田氏一族の田乞は野心家であり、宮中での一族の力を拡大しようとする。当然、国氏・高氏は快く思わず、衝突する日々であった。
そんな中、楚の国の重臣 伍奢が王を諌めたことにより、伍家は処刑される。生き残りの伍子胥は、以前友好のあった孫武を頼って斉の国に逃亡してくる。
情報を得た国氏の国范と高氏の高鷙は、他国の重罪人を匿ったと口実に、孫家を強襲する。しかしながら逆に孫慿に返り討ちされ、国氏と高氏は共に一族を抹殺される。
生き残った国無咎と高紫蘇、紫蘇の兄 高厥の3人は斉の国を脱出し、無咎は孫家への復讐を誓うのだった。
そして孫武もまた父のやり方に反発し、天賦の才である兵法を磨く為に斉の国を出る。
この後、復讐を成す力を付ける為に、敢えて伍家を滅ぼした楚の国の奸臣 費無極に近づく無咎とか、無咎と再会した孫武が、「何故、あんな奸臣に近づくんだ!?」「俺は孫家に復讐する為ならば、何でもする」という、嘗ての親友よ!みたいな展開になります。
それから伍子胥は呉の国に逃れたようで、同じく兵法の修行の為に呉にやって来る孫武とマブダチになるようです。
伍子胥も楚の国に復讐する気ですので、その辺りで国無咎が絡んでくるのだろうなー
とにかく、「運命の荒波が」な展開で目が離せません。
展開の早さもなんですが、説明が無いのも大変です。ナレーションが無いのですよ。
「○年後」のような説明テロップも無いので、登場人物のセリフから流れを推測しないといけないという、これもまた笑える要素です。中国の人たちは、これでついていけるのだろうか。(自国の歴史なので、下地が出来ているということもあるのかも)
孫武の父ちゃん、孫慿が凄いタヌキ親父でしたよ。上記にもあるように、基本争いごとは避けて平穏に暮らしたいという人なのですが、国氏と高氏に急襲されたとき、しっかり迎え討っていました。
自分からは仕掛けないが、攻撃されたら倍返しのような、専守防衛を徹底している人で、その為に兵力も準備していました。
気の弱そうな人畜無害の顔しているんですけどね。どこかの絆タヌキを連想しましたね。
そうそう。主人公の孫武なのですが、孫が名字で武が名前?と疑問だったのですが、やはりこれで正解のようです。「私の名の『武』という文字の意味は」というセリフがありました。
それ以来、主人公をぶーちゃんと呼んでいます。
最後に言っておきますが、決して内容は笑えるドラマではありません。歴史ものです。
でもあの怒涛ぶりに笑えるんだよなあ。
手ブロがいつの間にか進化していました。パレットが凄い。
試しに使っていますが、何を描いているのか一目瞭然ですな。大体タヌキを描きますからな。
恐ろしいほど集中力が無いので、ちまちま描いています。
これと並行して、にょた宗さんと家康の話も描いています。
描いていて気付いたのですが、このCPって、要はオトメンですね。如何ににょた宗さんを男前に描くかに力を注いでいます。
録画溜めしていたISを、やっと全部見てしましました。見終わった感想は、見て良かったということです。
このドラマを見るまでは、ISの存在さえも知らなかったので、それを教えてくれたことに感謝です。
性器や生殖機能などで、外見からは性別が判別出来ない人のことをISと呼称します。(医学用語ではなく、便宜上だそうです)
ISには様々な症状があり、良く同人で使われる「ふたなり」の他、逆に両性の性器があるが未発達であったり、片方の性器だけだけど未発達だったり。
ですが出生届けには性別を明記しないといけません。この時点で、両親は大きな決断を迫られます。
ドラマを見ていて痛感したことは、個人の人格形成に性別は大きく影響されるということです。
今の世の中、「個性を尊重」と謳われていますが、その個性を育む段階で、既に性別によって矯正されていることも事実です。
乳幼児のときは、それこそ男女区別なく一緒に放り込まれますが(笑)、保育園や幼稚園など、団体生活に関わっていく段階になると、性別による区別ルールに則った社会で生きていくことになります。わかりやすい例は、トイレが別ということです。
それが当たり前になりますから、自然と自分も周囲も、性別による様々な相違隔離に疑問を持たなくなります。
誤解しないで戴きたいのは、それがおかしいと言っているわけではありません。中高校生の更衣室が男女一緒だったら、それこそ問題でしょう。
男と女、違う性別が存在する以上、何らかの区別は必要です。その区別環境も、人格形成の一要素になっているということです。
どんなに男勝りな女性も、本当に男性と同じ生活は出来ません。逆もまた然り。
以前、身内の看護師に、「何故女ばかりが子供を産むようになっているのか。両方産めれば楽じゃないか。」と言ったことがあります。種の保存という意味では、そちらが効率が良いのではないかと。
しかしそれに対する答えは、「だったらもう、性別の意味すらも無い。男と女という2種類の性があるのには、他の意味もあるからではないか。」
確かにそうです。
もし性別が無いとすると、SFでありがちな、支配しやすいように機械化単一化された人間の世界という設定に近いものがあります。
多様な人間がいるからこそ、互いに補って社会は発展していきます。多様ということは、違うということです。その違いを突きつめていくと、性別に集約されるのではないかと思います。
様々な人間で成り立つ社会生活を円滑にするには、ルールが必要です。最も根本となるルールが、この性別による区別ではないでしょうか。
ルールというものは、大多数に適用される性質のものでなければなりません。一部用というのは、ルールではありません。
この性別によるルールも、大多数に当てはまるから生きています。
しかしながら、大多数=全員ではなく、当てはまらない人もいます。このISであったり、性同一性障害であったり。
「常と異なる」と書いて、「異常」と表記します。常=大多数と捉えると、確かに彼らは異常かもしれません。
ですが上記しているように、性別が人格を作る要素のひとつだと考えると、彼らのような身心が合致しない、またはまだその段階に至っていない人は、性別に対して、大多数とは異なる捉え方をしているだけのことでしょう。
同じ物体も、見る人によって感じ方が違う。その違いではないかと思います。
ただ、そのような少数の人々が暮らしにくいというのも現状です。社会は大多数に対応しているからです。またそうであることが当然です。
理由は先程述べた通り、ルールの意味が、そうであるからです。一部対応では、社会は成り立ちません。
それを踏まえた上で、少数への対策も必要でしょう。
ドラマの中で、学校中にISであることを告白した主人公が、着替える為に校舎屋上に行くシーンがあります。
たまたま居合わせた先輩が、着替える場所が無いなら廃部になった女子剣道部の部室があるから、そこを使うようアドバイスします。
性別によって、どうしても避けられない事柄があります。少数への対策というのは、こういうことだと思います。
その対策の前に必要なのは、理解。
人間は未知のものに対して恐れがあり、それが偏見排除へと繋がります。
ドラマの主人公は、戸籍上は女なので女子学生として高校入学します。IS告白後、男子学生に「あいつ、付いてんのかな。」「ひとりでヤれんじゃねえ?」と、からかわれます。無知による偏見です。
今でこそ、性同一性障害も少しずつですが認識されてきています。ここまで来るにも、多くの偏見や迫害、無理解と戦ってこられたことと思います。
冒頭に書いていますように、管理人もドラマで初めてISを知りました。そして、凄く考えさせられました。
マンガ原作ということですので、作者並びにドラマ制作に携わった方々に、感謝します。
スイートプリキュアではビートが好きです。天然ボケさが良い。
猫の頃のハミィとのコンビも好きなのですが、猫に戻れないのかな。
エコガインダーの新シリーズが放送中ですが、OPが前と変わらん・・・デザインも変わらん・・・
普通、新シリーズになったら変わらないか?
こんなところまでエコなのかと、笑えます。
エコがイイんだ ZETTAI!
未来の赤茶けた地球を見ると、ヤマトを連想してしまう管理人。←古い
スカパーでアメリカ版龍騎が放送中です。
アメリカ版のことは知っていましたので、機会があれば見てみたいと思っていましたからラッキー。
キャラ設定は随分と違いますが、ライダーデザインや戦い方などは日本オリジナルを踏襲しているので、まずまず。
現在4話まで放送されていますが、2話までしか見ていません。オリジナルと同じように、願いを叶える為の戦いなのか、今のところは不明ですね。
アクション自体はこちら(アメリカ版)の方がかっこ良いです。ただ、「変身!」じゃなくて、「カメンルァイダッ!」(「カ」にアクセント)と叫ぶのが笑えます。
写真は、日本で放送当時に従兄弟の子供(当時幼児)から半強奪した食玩のナイトです。(いい大人が・・・)
ちゃんと飾っているよぅ~
龍騎よりナイトのほうが好きです。
またまたLAW&ORDERの話です。
アメリカでは刑事裁判に於いて、自己弁護が可能なことに驚きです。日本は弁護人を立てることが条件ですので。
あくまで「可能」であって、実際は弁護人を立てるのが通常のようです。ドラマ中でも、裁判官が自己弁護のリスクを被告人に理解納得させていましたから。
可能、というか、権利という考え方のようですね。「裁判の進行に依っては、自己弁護の権利を剥奪します」と警告もしていました。
自己弁護が可能であり、審判を陪審員に委ねるというシステムからも、アメリカは個々人の権利行使及び責任判断能力を重視し、成熟した社会を目指しているのだと感じます。
また事故などを引き起こし、結果的に多数の被害者を出してしまった場合、その被害者ひとりひとりに対しての刑罰が下されます。よく「禁固何百年」とか海外ドラマで聞きますよね。それが、そういうことです。合計した量刑を言っている。
これに対して日本は、行為の回数で刑罰を決めるので、結果として多数の被害者が出たとしても一回の行為とします。但し、量刑は1.5倍。
国によって考え方が違いますので、こういう相異は当然ですが、かなり興味深いです。
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プロフィール
HN:
矢島秀義
性別:
非公開
自己紹介:
九州でまったり棲息するナマケモノです。
「大丈夫です! 俺、矢島ですから!」by オダギリジョー
e-mail hide-yajima@hotmail.co.jp
「大丈夫です! 俺、矢島ですから!」by オダギリジョー
e-mail hide-yajima@hotmail.co.jp
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